そ の 鼓 動 に 耳 を 寄 せ て


 カノンは朝起きて、先ず隣にいる自分の半身に擦り寄った。
 完璧に覚醒していない脳ミソで、
 サガのぬくもりを求めて、シーツの上をずるずると移動する。
 肘をつき、すこし上体を起こし、ぽてとサガの胸に頭を乗せた。
 先に目覚めていたサガは、カノンが起きるまで、と暇潰しに読んでいた本の字面から視線を外す。
 胸に顔を伏せているカノンを見て、藍色の髪を掬い、サラリと撫ぜてやる。
 そうして視線を、すぐに本へと戻した。

 おい、サガ。オレより本のほうが好きなのかよ

 カノンの顔が動く。
 不満気な瞳がじとり、とサガを見る。
 サガはカノンの視線には気付いていたけれど、
 ヤキモチを焼いて欲しかったのと、
 半端なところで止めると気になるから、ついでに読んでしまいたかったのと、
 二つの理由で、読書を続けた。
 カノンが盛大に眉を顰める。
 するとトクトクトク
 顔を横に動かした為、胸に宛がう形になっていた耳に、サガの命の旋律が届いた。
 カノンは、その音がもたらす安堵と心地良さに、先程の怒りを拭われた。
 だから静かに、そっと、瞳を閉じて、サガは読書。カノンは音楽鑑賞。
 二人して、しばらくその状態だった。

 「カノン」
 「んー?」

 カノンが何も文句を言ってこないことを不思議に思い、
 サガはようやく本を閉じた。

 「楽しいか?」
 「んー…」

 カノンが心音を聴いていることに、サガは気付いたらしい。
 問い掛けられて、カノンはすこし考えた。
 楽しいか。いや、別に楽しいワケではない。
 それでもこの状態は悪くない、と思う。

 「楽しいっつーか嬉しい」
 「…嬉しい?」
 「サガが生きてる」

 ちいさく、ちいさく、囁くような声で言い、カノンはサガの服をしっかりと握り締めた。
 カノンの仕草は、幼い子供が大人に縋るときの、それだった。

 この音が止まったとき、オレの体は痛かったのだ。心も悲鳴をあげていた。
 半身を剥ぎ取られた痛みに膝をつき、堰を切ったかのように、流れ出した涙。
 それは痛みによって溢れていたのか、哀しみによって止まらなかったのか、今でもよくわからない。
 ただひとつ、わかってしまった。
 ああ、サガ。お前死んじまったんだな、って。

 ぽつり、ぽつりと、それでも途中で止めようとはせずに、過去の話を続けるカノンの表情は、哀しげだった。
 その時のことを思い出してしまったのだろうか。

 「カノン」
 「何?」
 「すまない」
 「馬鹿か。謝るな。
  っていうか悪いと思ってもいないくせに謝るな」

 閉じられていた瞳がぱちり、と開く。
 キッと鋭い目付きで己を睨み付けてくるカノンに、サガは苦笑した。

 謝罪なんて何の意味も持たない。
 悪いと思っているのなら
 生きてくれ。
 生きて、生きて、生きて、生き抜けよ。
 オレの知らないところで勝手に死ぬな。
 二度目はきっと赦せない。

 「カノン」
 「うん」
 「カノン、カノン…」

 いとしげに、優しく名前を紡ぎ、
 サガの手のひらが子供をあやすようにカノンの髪を撫でる。

 「サガ」
 「うん」
 「サガ、サガ、サガ…」

 サガを真似て、カノンもサガの名前を繰り返し、繰り返し、紡ぐ。

 こうしてオレが呼んだ分だけ、
 いや、それ以上にお前は返さなきゃ駄目だ。
 オレを傷付けた代償は、
 オレの名前を呼ぶことと、
 この命の旋律をオレより先に止めないことで償ってくれよな、兄さん。

 最後のほうは、おふざけっぽく、
 それでも切なる願いを込めて、言ってやった。
 サガはすこし淋しそうに微笑んだだけ。
 カノンの願いに明確な返事を返さなかった。
 ただカノンの手を握り、しっかりと指を絡めた。もう二度と離れないように。

「サガはズルイし、せこいし、最悪だな」

 カノンは鼻で嘲笑いながら、言い放つ。
 それでもサガが絡めてきた指を、手を、離そうなんて微塵も思わなかった。


 鼓動に耳を寄せて、願うことはひとつだけ。
 もう二度と、この手が離れ離れにならなければ良いのに ――


end



サガが居ない世界。カノンは盛大に泣き喚いて、でもきっと歩いていける。
カノンが居ない世界。サガは泣き喚くことすら出来ないんじゃないかと思います。
だからカノンの願いは叶わないのです。


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