愚 か な こ と だ と 判 っ て い て も


 五老峰に旅立つ日
 シオンはすこし淋しげに云った。

 ―― お前と共に戦場を駆けることはもうないのだろうか…

 普段の尊大な態度とは打って変わって静かな声音。童虎は目を瞠った。
 視線を動かせば、薄紅の双眸が揺れていた。
 大義を重んじ、それ以外の為に生きることを知らないシオン。女神の為に、聖域の為に、シオンはいつもそればかりだ。
 そんな彼が刹那見せた弱さ。そして自分のための望み。
 直接言われたワケではない。
 けれど‘ひとりは辛い、傍に居て欲しい’そんな風に聞こえた気がした。

 ―― だが、共に生きることは出来るぞ。

 仮死の法を施されている身で‘共に生きる’という形容はおかしかったかもしれない。
 それでも自分と、そして朋友の為に、告げた言葉。
 ひとりより、ふたりのほうがいい、と思った。
 たとえ、もう二度と相見ることが叶わなくとも ――

 ―― 死ぬなよ。

 戦場に赴く訳でもないのに、伝えずにはいられなかった言葉も付け加えた。シオンは‘そっくりそのまま返してやる’と、先程の不安を到底感じさせない面持ちで悠然と笑んだ。

 そうして我らは別れた。

 聖衣をまとって戦うより、辛く、厳しい、永久にも似た‘とき’との戦いを予感しながら ――


*  *  *  *  *


 それから243年 ――
 白羊宮で、二人は対峙していた。
 あの頃と変わらぬ姿で、聖域と女神の為に殉じた朋友が、童虎の目の前に立っている。

 ―― シオン…

 仮死の法を施されている身にも関わらず、胸が高鳴るような錯覚さえする。
 まさか、再会することになるとは夢にも思わなかった。
 否、何度も夢には見ていた。
 動くことの叶わない己が身を呪い、望みを捨て切れない己の弱さを嘲笑い、己の中に他者を想う気持ちが残っていることにすこしの安堵を覚え、生きていた。ずっと。

 ―― シオン…

 彼らしかぬ行動を訝しく思う。
 声に出して紡ぐことが出来ない状況だとわかっているからこそ、小宇宙に思念を宿して、飛ばす。返事は返ってこない。本心を聞き出そうにもシオンの思念は固く閉ざされていた。
 闇の色を帯びた聖衣さえ、よく似合う、と沸いたことを、ふと考えた。
 月光を反射して、輝く冥衣。陽光を帯び、輝くそれとはまるで違う。

 ―― ま、しかしシオンには陽の色のほうが似合うかの。

 漠然とそんなことを思う。
 もしかしたらそれは嫉妬から来た考えだったのかもしれない。
 嫉妬ついにで、シオンが紡ぐ‘ハーデス様’という言葉にひどく苛立つ。
 止めい。
 その名を紡ぐな。
 必ず何かしらの理由 (ワケ) があるだろうとわかっているのに、吐き気がする。
 ドロドロとし、黒く凝った想いが、心を侵食し出す。
 童虎は内に渦巻く感情に、きつく蓋をして、押さえ込んだ。


*  *  *  *  *


 シオンと童虎。彼らの拮抗した小宇宙の激突は、童虎の愛弟子である紫龍とハーデスの監視を吹き飛ばすには十分すぎる威力を発揮した。
 技の応酬により、童虎自身も吹き飛ばされ、地面に突っ伏した。
 流石に体がギシギシと痛みを訴えてくる。
 頭の近くでカッとヒールが鳴った。
 仰向けになり、瞼を上げれば、シオンが童虎を見下ろしていた。

「まただな」

 いつも決着がつかないな、と朋友が微笑む。あの頃と変わらない姿で、あの頃よりも柔らかな気を纏って。
 差し伸べられた手をとり、上体を起こす。
 眼前にふわりと翡翠の色彩が広がった。

「逢いたかったぞ」

 耳元で小さく響く声。伝わるぬくもりに鼓動がはねた。
 仮死の法を解いた途端これでは、瞬く間に早死にしてしまいそうだ、などとぼんやり考えた。
 そっとシオンの背を抱き返すと、疾うに過ぎ去っていた懐かしい感覚がよみがえる。
 逢えなかったときの想いは片手などでは足りない。童虎は両腕で、力いっぱいシオンの体を抱きしめた。
 いとしい存在。互いを想う心は、あの頃と何も変わらないのに、シオンが冥府の王に与えられたという体は、いつもと違う匂いがするような気がした。
 まるで、知らないものでも抱きしめているようだ。
 ワケのわからない焦燥が童虎の心をかき乱した。

「…童虎、離せ。痛いわ」

 云われて、腕の力を緩める。

「すまん、ついな」

 ‘嬉しくて、つい力が入りすぎた’と暗に含ませ、笑う。シオンは’馬鹿力め’と童虎の肩を軽く押した。そして童虎とおなじように笑った。

「さて、時間はあまりない。童虎よ、行くぞ」

 女神に聖衣を纏っていただかなくては、とシオンは立ち上がる。
 童虎はやはりそれだったか、と朋友の行動の理解した。
 しかし理解すると、先程以上に心がかき乱された。
 シオンは死してもなお聖域の、いや、女神のものなのか。
 わかりきっていた筈の事実がひどく気に食わない。
 次に位置する金牛宮に駆け出そうとしたシオンの腕を掴んだ。

「……童虎?」

 薄紅の瞳が不思議そうに瞬いた。
 あまりに無防備すぎる。それだけ信頼されているということだろうか。光栄であり、もうすこし警戒して欲しかった。自分ではもう止められない。
 童虎はシオンの首に腕を回し、引き寄せ、強引に唇を重ねた。

「……ッ…馬鹿者!後にしろ」
「後が無いから今しとる」

 後なんてありえない。いや、冥府に行けばありうるか…。
 それでもお前は先に逝ってしまう。またわしを置いて。

 童虎はそんな想いを含ませ、シオンを見上げた。
 薄紅の瞳が僅かにたじろぐ。

「シオン…」

 いとしげに名を紡げば、シオンの決意も揺るがした。

「あの火時計が消えるまで、わしを刻み付けてやろう」
「…―― ッ!」

 首筋に顔を埋め、白い肌をそろりと舐め上げる。
 上のほうで小さく息を詰めるような気配がした。
 顔を上げてみれば、紅潮している頬と、僅かに潤んだ薄紅の瞳が童虎を映し出していた。

「離してやらんよ」

 最後に、ニッコリとお得意の笑みを向けて童虎は、シオンを押し倒した。
 シオンは呆れたように‘馬鹿が’と呟き、すっと目を閉じた。
 陥落したシオンに、童虎の笑みは無邪気にも深くなったという。


その命が聖域の女神のものであり
その体が冥府の王のものであるのなら
おぬしの心はわしが貰おう


end



シオンさまを手に入れようと思ったら大変そうだなーとか思いつつ、出来たお話。
神に喧嘩をうる童虎さんなのです。
誰かを欲する気持ちが愚かとは思いませんが、聖闘士としては愚かかもしれない。
タイトルはそんな感じだと思って頂ければ。


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