この時期になると周防家のキッチンは甘い匂いが立ち込めている。
むせ返る。
くらくらする。
べつに匂いのせいだけじゃないけれど。
兄弟二人きりの部屋に、ぴちゃり、と水音が響いた。
「あ、まい……」
白いクリームに塗れた克哉の指を咥えて、達哉は憮然と言い放つ。
「そうか?」
克哉は手にしていたケーキ皿をテーブルに置いて、達哉のくちびるを塞いだ。
口腔に舌を差し入れ、クリームをスポンジを苺を全部舐めとっていくかのように貪る。
達哉は鳶色の眸をとろん、と伏せた。
「美味いじゃないか」
これでも甘さは控え目にしたぞ、とくちびるを離して告げた克哉に、甘党のアンタからしたら控え目だろ、と言い返しそうになったけど。
今日はクリスマスだし。
せっかく克哉が家にいるのだし。
たまには素直な良い子でいてやろうかな、と思う。
「兄さんからも甘い匂いがする…」
首筋に額を擦り付けるように甘えて、すん、と鼻を鳴らす。
「克哉、俺、匂いに酔いそうだ…」
首に腕を回して、吐息のように囁く。
でも嫌いじゃないと思う。
お菓子の甘い匂いと、煙草の臭いが克哉の匂いだから、ひどく安堵する。
「介抱してやろうか?」
克哉はレンズ越しの双眸を愉しそうに細めて、達哉の体をソファーに沈めた。
「それってなんかもっとやばいことになりそう」
兄の肩越しに見慣れた天井が映る。
首に回している腕に力を込めて、克哉を引き寄せた。
ちゅっ、と口付けをもらって、
「よくわかっているじゃないか達哉」
「ぁ、……に、さ…」
あとは背徳と、達哉の甘い声だけ部屋に満ちていく。
それが二人の聖なる夜。
[ end ]
「達哉クン」
「たっちゃん」
「情人」
「達哉」
呼んで
もっと呼んで
むこうの世界の思い出を繰り返し夢に見て、
目が覚める
「…達哉」
心配そうな声とカオ。仰ぎ見る。
俺と同じ色彩の双眸と視線がかち合う。
やけに兄さんの顔が滲んでみえて、ぐいと頬を拭われた。
…ああ、また眠りながら泣いていたのか。
もうあの響きを耳にすることはできない。
今はこちら側の舞耶姉が呼んでくれるけど
それもあと僅かのキセキだ。
しばし沈黙が流れた。
「にいさん」
「ん?」
「もいっかい」
気付けば、もう一回だけ呼んでほしいな、とねだっていた。
「達哉」
「…うん」
「達哉、達哉、達哉」
克哉は一回だけじゃなくて何度も何度も俺の名前を呼んでくれた。
そのまま抱き寄せられる。
「お前が望むなら望むだけ」
たとえお前が僕の前から消えてしまっても呼び続けている ――
耳元で克哉の声が響く。
「…うん。ありがとう」
その言葉を胸に俺は生きていけると思う。
こちら側の克哉の腕の中からみる世界はいつも優しい。
でも肩越しからみる世界はいつも滲んでみえた。
別れのときがまた一歩近付く夜明けを見ていた。
[ end ]
「なあ兄貴。俺さ、なんか時々なんだけど……この世界がいとしい、て
思うことがある…」
なんでだろ、と首を傾げる達哉に、真実はそっと隠して
「それは今お前が幸せだからだろう」
よしよしと栗色の髪を撫ぜた
「僕もこの世界が愛しいよ」
今お前が微笑っている
もうひとりのお前が守ったこの世界を、
あいしてる
[ end ]