[ side:雪男 ]
神父さんが死んだときから、気付いていた。
僕の中にある小瓶の砂がサラサラと落ちる度に離れていくものがあることに。
いつかはやってくるさよならに。
けれど気付きたくなくて、気付いて欲しくもなくて、
ずっと分からない振りをしていた。
明かりを消した寮の部屋で、傍らにスヨスヨと幼いばかりの寝息が落ちている。
浅い眠りから目が覚めて、しばらく見つめていたので暗闇にはもう慣れてしまった目とはいえ、眼鏡を掛けていないため、ぼんやりとしかその形が分からない耳朶に触れてみる。
父が亡くなる前とは形の違う、尖ったそれにズキリと胸が痛む。
耳から、今度は頬に掛けて手を滑らせる。
兄は温かかった。
「ゆき…?」
むにゃ、と半分寝ぼけたような状態で兄が僕を呼んだ。
「ごめん。起こしちゃった?」
「へいきぃ…」
寝てていいよ、と掛け布団を直してやれば、舌足らずな返答が返ってくる。
可愛い。
でも、これもいつかは終わるのだろうか?
それも僕がいなくなって、この優しい兄に終わりを突き付けるのだろうか?
嫌だ。
いやだ。
イヤダ。
いやだいやだいやだいやだいやだ…!
嫌なんだ。
兄さん…。
「雪男! どうした…?」
「なんでも、ない…」
声にならない叫びは涙となって勝手に溢れ出した。
兄は飛び起きて僕をギュッと抱きしめる。
そうして、
「雪男は泣き虫だなあ」
俺がいなきゃ駄目なんだから、と笑いながら、胸を貸してくれる。
トクトクと一定のリズムを伝える兄の胸にきつく縋り付いた。
神様…いや、神様なんかいないともう知っているのだけど。
それでも、祈ってしまう。願ってしまう。
この優しい兄の傍に、僕の魂を永遠に繋ぎとめてください。
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[ side:燐 ]
まどろみの中、耳朶にふにふにと柔らかな感触。
くすぐったさに瞼を持ち上げれば暗闇の中、片割れの顔がぼんやりと映し出された。
ゆき、と半分以上寝惚けながら呼んでみる。
そしたら、急に大粒の涙を流しはじめた弟にギョッとした。
「雪男! どうした…?」
「なんでも、ない…」
訊いても雪男は答えない。
でも、本当は訊く前から分かってしまう。
いつからか気付いてしまった。
雪男が何かに怯えていることに。
俺自身のことだから、分からない筈がなかった。
ガキの頃は小さく体も弱かった雪男は、中学に入ったくらいから、ぐんぐんと俺とジジイの背を追い抜かしていった。
そんな雪男とは違い、俺の成長は遅かった。
それでも、日々、ほんの少しずつだけだけどちゃんと伸びていた身長。
それがジジイが死んだ翌日から、ピタリと変動しなくなった。
―― ああ、おれ、もう成長出来ないのか…。
尖った耳。
漆黒の尻尾。
尋常ではない怪力と傷の治癒力。
自分はますます人間じゃないと突き付けられる。
でも、それでも良かった。
『兄さん』
雪男が以前と変わらず、そう呼んでくれるから。
ただ、雪男と違うことは哀しかった。
それに雪男の時間は動いている。
ずっと並んで歩いてきた筈の道なのに、いつの間にか、俺たちの間の距離はとんでもなく離れていて、
俺は立ち止まったままで動きたくとも動けない。
雪男は歩みを止めないし止めれない。
遠くなる背中。
離れて、
見えなくなって、
いつかいつか俺を置いていく。
その未来は想像しただけで、怖くて怖くて押し潰されそうだ。
でも、雪男が泣くから俺は泣いちゃいけないと思う。
兄ちゃんだから。
たとえこの先、お前よりずっと年下になってしまうかもしれなくても、俺はずっと雪男の兄ちゃんだから。
「雪男は泣き虫だなあ」
笑いながらそう言って、俺よりも大きな体をめいっぱい抱きしめる。
神様…いや、神様なんかいないんだろうけど。
それでも、願うよ。
この愛しい弟のとなりを、いっしょに歩ける未来を俺にください。
[ end ]
雪燐
いっしょにいたいと、互いに願うことはただ同じだと良いです。そんな雪燐。
11.11.12 up