涙
無くす。亡くす。失くす。
今まで色々なものをなくしてきた。
必要なのは一機でも多く敵を葬ることが出来る力だ、と言われ、恐怖・哀しみ、ましてや優しさといった感情なんて一番不必要だ、と教えられた。
どんなに痛くても、苦しくても、辛くても、立ち止まってはいけない。
立ち止まり、パーツの役目を果たせないものは "廃棄処分" されるだけだ。
頑なに、それを恐れて、存在していた。
(必要ねーだろ…)
目の前で肩を震わせ、己の身体を抱きしめるように蹲っているシャニ。
彼を見つめて、オルガは己の拳を強く握り締めた。
手のひらの肉に、ぎりぎり、と爪が食い込む。生々しい血の臭いが鼻についた。
程無くして血の臭いを不思議に思ったのか、シャニが顔を上げる。
こちらに向いたアメジストの瞳と、コバルト・グリーンの前髪の隙間から見え隠れする琥珀色の瞳は、涙で濡れていた。
泣くことも自分達には不要だ。
立ち止まることと何ら変わりないからだ。
不必要な行為をするシャニに、オルガはひどく苛立った。
「何泣いてんだよ」
「だって、くやしい…。あいつ、あいつッ!あの赤いのッ」
つっけんどんに言い放つと、消沈していた双眸が、くすぶる闘志を宿し、見開いた。
行き場のない憤りを、シャニはオルガの胸元にぶつけてくる。拳型に握られた両手がオルガの胸をたたく。戦慄く唇からは、悔しさと己の不甲斐なさを嘆いて、ギリリッと奥歯を噛み締める音がした。
「うるせェよ!悔しいのはお前だけじゃねぇ…。泣くな。見てると苛つくんだ」
シャニの行動を制する為に、彼の肩を乱暴に掴んだ。
肉体的に強化されている筈の肩は、華奢で、ひどく頼り無い。
「おるが…」
シャニはオルガの名前を小さく呼ぶと、胸元を叩くことを止めた。
すんすん、と鼻を鳴らしているシャニ。涙は止まらない。透明色の雫は、アメジストの宝石を揺らし、頬を伝う瞬間球形に変化して、空 (くう) に浮かんだ。
「シャニ…泣くな」
―― 泣いている時間なんてないだろ?
目許の涙痕を指で撫でて、オルガは囁く。オルガの手のひらは傷付いていたので、シャニの白い頬には、血によって、紅い線が描かれた。
「泣かなかったら何か変わる?」
目許を撫でて、頬を包み込む大きな手に、一回り小さな己の手を重ねて、シャニは問い掛けた。
「さぁな…。でも、泣いていても何も変わらねぇのは、確かだろ」
どちらの行動をとっても何も変わらない。
それなら無駄な労力を使わないほうがいい、とオルガは諭した。
―― そうなのかな。
シャニがほんの少し首を傾げる。
―― 本当に何も変わらないのかな。
アメジストの瞳は、オルガの姿を映さずに、彼の肩越しに見える空 (くう) をぼんやりと眺めた。
其処には、先程流した涙がふわふわと浮遊していた。
涙の粒は綺麗だった。
「オレは泣くこと、忘れたくないな…」
考えるという行為も、疾うに忘れてしまった脳ミソで、弾き出した結論。それはオルガの意見と相反する答えだった。
戦い以外のことで、シャニがしっかりとした意思を持つことは、珍しい。
その為、オルガはひどく動揺した。
「――…ッ!どうしてだよ!」
「うんと…多分オルガが泣かないからかな」
眉根を寄せて、辛そうな表情をしているオルガを真っ向から見据えて、シャニは理由を話し出した。
シャニの言葉にアクア色の瞳が驚いたように瞬く。
「オルガが泣かないならオレが泣くよ」
細い両の腕が首に回される。シャニの声が耳元で響いた。
「は、ハハッ……馬鹿じゃねーの…。何にもなんねぇのに…」
オルガは端整な口許を歪めて、シャニの言い分を、馬鹿らしい、と嘲笑った。
シャニはオルガの言葉を否定するように、緩急な動きで、首を左右に振る。
「なんにもなくないもん」
オルガが胸を痛めてくれる。
それだけで十分だ。
「ッ……馬鹿野郎…」
その言葉を聞いてオルガはシャニを強く強く抱きしめた。
皮膚を隔てて聴こえてくるとくとくとく、という鼓動。
静かに、優しく響くそれを聴けること。生きているということ。
シャニはそれがとても嬉しかった。
シャニの涙は、オルガの言うとおり目に見える形では何も生み出さなかった。
ただオルガの心に確かな波紋を描いた。
静かにそっとオルガの心を動かした。