さえいれば


 朝起きてシャニは青褪めていた。
 珍しく正座なんてしている彼の両膝の前には無惨に折れ曲がったライトノベルが鎮座している。
 それはシャニが目を覚まして一番初めに視界へと飛び込んできたものだった。
 どうやら寝惚けている間に背中の下敷きにしてしまったらしい。
 先程 "読めないことはないかも?" と淡い期待を抱きながら恐る恐る頁を捲ってみたのだが…。

 (うっ)

 どうやら背中の下敷きにしただけではなくそのままずりずりと布団に潜ってしまったようだ。
 ライトノベルは破けているところも数頁あり中々酷い状態だった。
 つまりシャニの "淡い" 期待は呆気なく砕け散ったのだ。

 (どどどど、どーしよっ)

 隣にはこの本の所有者でもあるオルガが、未だ夢の世界にいて、すよすよと健やかな寝息をたてている。
 シャニは半ばパニックに陥り掛けながら普段働かさない脳をフル回転させた。

 (うぅぅっ ―― …あ、そうだ!新しい本買ってきてすりかえればバレないかも)

 唸りつつ頑張って脳を働かすと良い案が浮かんで来た。
 善は急げとシャニはベッドから降りてオルガの持ち物であるライトノベルを隠せる場所を探そうとしたが。

 ―― ぽすっ

 「あれ?」

 気付けば眼前には白い天井。

 「シャニ…はよ、今日は早いんだな」

 そして疑問符を大量に頭上に飛ばしているシャニの耳にとても聞き覚えのある声が届いた。
 それは当然大好きなオルガの声で ――
 シャニがそうっと視線を動かすと目覚めのいい彼らしくアクア色の瞳はぱっちりと開いていて自分の姿を映し出していた。
 せめてもうちょっと寝ててくれたらっ!
 シャニは心の中で嘆きつつ手にしていたぼろぼろのライトノベルを慌てて己の身体の下に隠した。

 「お、おはよぉ…」
 「おう ―― …ってシャニ。今なんか隠さなかったか?」

 取り敢えず無難に朝の挨拶を返してみたが、先程の行動をオルガに咎められてしまう。

 「え?なんにも隠してないよっ」

 ぶんぶんと首を左右に振って "隠した" と言う意見を否定したが、じーっと自分を見つめてくるオルガの目はあきらかに不審気だ。
 にゅっと手が伸びてきたかと思うと腰とベッドの間を探られた。

 「あ!なんにもないってばっ」

 ライトノベルを背中でぎゅぅぅっと押し潰したままシャニは腕を突っ撥ねる。

 「こらっ!シャニ。なんにもねーならじっとしてろよ」

 「やだ、やだ、うざっ、オルガのえっち!」

 シャニの必死な防戦が続くが、ぎゃんぎゃんと騒がしく交わされる会話が妙な方向へと逸れていっている事に2人は気付かない。

 (ちぃッ ―― 力じゃ敵わねーくせに今回はしぶといな)

 オルガは心の中で密かに舌打ちをすると "えっち" という言葉に反応を示した。
 良い考え  (勿論シャニから見れば良からぬ考え) が浮かんだのだ。

 「ハッ ―― えっちって前からだろ?今更なぁに言ってんだよ」

 オルガは馬鹿にしたようにシャニの台詞を鼻で嘲笑うと、驚きに戦慄く唇から反論の言葉が発せられる前にキスで塞いでしまうという強引な手段に出た。
 アメジストの瞳がショックを受けたように数回瞬き ――
 潤んだ。

 「んっ、んんぅ…ッ」

 そんな恋人の姿を開けっ放しの双眸で見つめながら "ちょっとやり過ぎたか" と、反省して、オルガは口付けを優しいものに変えた。
 ちゅっ、ちゅっ…と何度かあやす様に啄ばんでいるとアメジストの瞳が少し拗ねた様子で、アクア色の瞳を見つめ返してきた。
 ―― くちゅっ
 と、最後に濡れた音を響かせて、唇を離すと、シャニがちょっぴり名残惜しそうな顔をしたので、オルガは緩む口許が抑えれない。

 (ったく ―― 可愛いやつ)

 当初の予定ではシャニの気を逸らさせて背中の下を探ろうと思っていたのだけれど…。
 潤むアメジストの瞳を見つめていたらその気が削がれてしまって…。
 結局探し損ねてしまった。

 「何隠したんだ?」

 オルガは自分の甘さを自嘲しながら若草色の髪をそっと撫でた。
 優しく問い掛けられると、オルガに怒られるのは当然嫌だけど、隠し事するのはもっと嫌だな…とシャニは思ってしまう。
 困ったように眉をタレ下げながらも背中から例のブツを取り出した。

 「あーン?これはまた。派手にやったな」
 「ごめんね…」

 変わり果ててしまった自分の持ち物を見ながら苦笑するオルガに、シャニはしおらしく頭を垂れる。
 しょんぼり…としているシャニに、怒っているワケでも困っているワケでもないオルガはただくすくすと微笑った。

 「ばぁーか、この位で怒んねーよ」

 こんなちっぽけなことで先程ムキになっていた己とシャニが妙におかしかった。

 「ホント?」
 「ああ、本当だぜ。シャニがこの本の代わりに俺の退屈を埋めてくれるんならな」

 そうしてシャニを元気付けようと軽口を叩いた後 ―― 人悪い笑みで愉しそうに本音を告げると愛しい恋人の唇を己の唇でもう一度塞いだ。

 (まっ・シャニとの日々は退屈する暇なんてない位愉しいから
 他にはなんにも要らないんだけどな…)

 キスをされて、とても嬉しそうに自ら両腕を伸ばしてきたシャニを見て、オルガは心の中でこっそりとそう思っていた。


END


2005.02.06