ねこねこ
パニック
朝目覚めたら己の隣にふわふわとした感触が在って、オルガは頭上にハテナを飛ばした。
(シャニにしては妙にちっせぇし、毛深いような…)
アクア色の双眸をそっと開くと至近距離には見慣れたコバルト・グリーンの髪と、見慣れないピンク色の耳。
本来人間の耳は顔の横にあるものだ。
断じて頭の上にはない。
勿論、色もピンクの訳がない。
しかも人間の耳とは形状の違う 『それ』 。
これは一体何なんだ…。
オルガはそっと手を伸ばすと、ピンク色の 『それ』 を軽く引っ張ってみた。
「いたいにゃ〜…」
すると聞き慣れた声が布団の中から聞こえて来る。
オルガがぽかーんとしている間に、声の主は布団の中からもそもそと抜け出して、ぐずぐずと泣き出した。
「オルガ、痛いにゃ」
ふわふわの髪の毛、アメジストの瞳、少々棒読み気味の口調、どれをとっても目の前の人物 (?) は、オルガがよく知っている人物だった。
「しゃ、シャニだよな?」
「なぅ〜」
現実を受け入れようとしない脳を叱咤して、念を押し、確認する。
オルガの質問に、可愛らしい頭がコクンと縦に振られた。
やはり目の前に居るのはシャニに間違いないらしい。
だが、いつもとあきらかに違うところがある。
身体が小さいのだ。
否、違うところは其処だけではない。
先程引っ張った耳は、猫耳という単語が相応しい代物だし、オルガが慌ててシャニを抱き上げて、くるくる回して見ると、丸々とした可愛らしいお尻からは尻尾まで生えている。
「なっ、なんだ、こりゃぁぁああぁーッ!?」
オルガの困惑は、当然の反応だった。
* * *
「まぁ、シャニが非常識で変わっているのは知っていましたけどね〜。何も猫になることはないでしょう…」
ブルーコスモスの総帥であるムルタ・アズラエルは、手塩掛けて育てた生体CPUの変わり果てた姿に、はぁぁぁ…と、落胆していた。
「そんな姿でどうやってMSに搭乗する気ですかァ?」
「シャニたんのせいじゃないもんっ」
アズラエルは、オルガの膝の上にちょこんと座っているシャニの猫耳を、やつ当たりのついでとばかりに軽く引っ張る。
厭味を言われている当の本人は ‘痛いにゃ!’ と、怒ったように言い放ち、肉球つきの小さなお手てで、アズラエルの手を叩き落とした。
シャニは半猫化 (?) して一人称まで変わってしまったらしい。
「原因は判らないんだ。シャニを叱ることはねーだろ?」
原因がわからない今、シャニだけが責められるというのはとても理不尽だ。
納得出来ない。
オルガはシャニを庇った。
「あーはい、はい。僕だって判っていますよ。まぁ、でも、とりあえずシャニは医務室行きですね」
「にゃッ!?いやにゃ〜〜〜!やにゃ〜!」
不満さを隠そうともせずにアズラエルは眉を顰める。
彼がぺらぺらと発した言葉にシャニの顔色が変わった。
桃色の猫耳がぷるぷると震え出し、必死の形相でオルガの胸元にしがみ付くと、シャニは短い手足をちたぱたさせながら彼の軍服の中に逃げ込んだ。
緊迫した状況の中、シャニの 『頭隠して尻隠さず』 という格好だけが少々浮いている。
オルガ達は、医務室=研究員に診られる、という公式を嫌と言うほど理解していた。
「シャニたん、そのうち戻るからほっといてにゃ…」
そして拗ねた声音で ‘放って置いて欲しい’ と望んだが、アズラエルはシャニの要求を却下した。
「何言っちゃってくれてんですか!駄目に決まっているでしょう!シャニ!出て来なさい!」
尚も食い下がろうと伸びてきたアズラエルの手を見て、胸元にシャニを抱えているオルガは、後ろに数歩後退した。
「オッサン、乱暴すんなよ!原因探ってみるからシャニのことは俺に任せてくれよ」
そしてすっと頭を垂れたのだ。
面と向って、哀願されて、アズラエルは少し戸惑った。
オルガはその一瞬の隙を見逃さなかった。
後ろ手で自動ドアの開閉スイッチを押すと、身を翻し、部屋から飛び出す。
「なッ!?待ちなさい、オルガッ!」
「悪ィな!シャニを研究員に渡す訳にはいかねーよ」
焦ったように声を荒げたアズラエルを振り切り、オルガはシャニと共に姿を消した。
* * *
2人が向った先はMS格納庫。
其処にはレイダーの整備をしているクロトの姿があった。
「あれ?オルガ、お前何やってんのさ」
辺りを見渡し、コソコソと己のほうにやってきたオルガに、クロトは首を傾げる。
そして胸元に抱えられている猫シャニの姿を見つけて、ぎょっとした。
「えッ?!何?シャニッ!」
「にゃ〜…クロトぉ」
しゅ〜ん、と猫耳をタレ下げたシャニが覇気のない声で、クロトの名を呼ぶ。
「な、なんつー姿になってんの?おい、オルガ!どういうことだよ」
「あー俺に聞くなよ…」
一気に捲くし立てるクロトに、オルガは頭を抱えた。
* * *
「ふーん…つまり原因はわかんないワケか」
朝起きたらシャニはこの有様だった、と説明すると、クロトはふむと何かを思案するように胸の前で両腕を組んだ。
元に戻れるいい案でもあるのだろうか…。
オルガが淡い期待を胸に、クロトを見つめていると、彼は ‘エッチのし過ぎなんじゃないの?’ と、とんでもない返答をケロリと返してきた。
「お、お前な…ッ」
期待していた返答とは相違し過ぎていて、オルガはガックリと肩を落とした。
「えーこれでもボクは真剣に言ってんだよ?
このままじゃ間違いなくアズラエルさんの機嫌損ねちゃいそうだしー…。
シャニも可哀想だしね」
みにみにサイズのシャニを抱っこして、クロトはアズラエルさんの−という部分を特に強調して、ズゲズゲと言い放つ。
暗に ‘こっちまでとばっちりはご免だよ’ と言われて、オルガは眉を顰めた。
「クロトぉ…」
少々険悪ムードの2人の顔を交互に見上げて、シャニがウルウルと瞳を潤ませる。
「ばぁーか、そんな顔すんなって。別にシャニのこと責めてるワケじゃないからね」
するとクロトは態度を一変させた。
クロトがシャニに甘いのはいつものことだ。
‘シャニのこと抱っこ出来んのは嬉しいし〜’ とシャニに高い高いをして、元気付けたクロトだったが、彼がさらり、と発した台詞に、オルガの眉間にはますます皺が寄っていた。
「きっとオルガの精液に不味いもんでも入ってたんだよ」
(つまり俺が悪いのかよ…)
俺って仲間に恵まれてねぇのな…と、オルガは心の中で涙を流さずにはいられなかった。
* * *
ずっとMS格納庫に居るわけにも行かなかったので、2人は移動し、今度はオルガの自室に向った。
自分たちをアズラエルが探しているとしたら此処は一番はじめにチェックされた筈だ。
なら2回捜索される確率は低いかもしれない、と考えたのだ。
オルガの予想通り自室の周辺と部屋の中に人の気配はしなかった。
シャニをベッドに下ろして、自分も寝転がる。
朝からバタバタしていて、ようやく安堵できる場所に辿り着いたと、オルガは瞳を閉じた。
すると、ぷきゅ…と、やわらかい感触が頬にあたる。
瞳を開くと、それは肉球つきのシャニの手だった。
「オルガ、ゴメンにゃ…」
「あン?何がだよ」
しゅん、と落ち込んでいるシャニを見て、オルガは微笑する。
「だって…」
口をもごもごとさせて、何か言いたそうなシャニの頭を ’お前は何も悪いことしてねーだろ?’ とオルガは撫でた。
でも、シャニの表情は晴れなかった。
「シャニたん、このままじゃ…フォビにも乗れないし、おるにゃと一緒に居られなくなっちゃうにゃ…」
ぽつりぽつりと不安を吐露し出したシャニに、オルガの胸が軋む。
元の姿に戻れない=MSに搭乗できない、そんなパイロットを置いておくほどアズラエルは甘くないだろう。
「シャニ……シャニ…」
こんなに小さな身体で、そんなにも大きな不安を抱え、押し潰されそうになっているシャニを、オルガは精一杯の優しさで抱きしめた。
シャニならどんな姿でも愛せると思う。
けれど、共に居るためには、互いに生体CPUでなければならないのだ。
「戻りたいよぉ…」
アメジストと琥珀の瞳から溢れる大粒の雫を、オルガはそっと指先で拭ってやることしか出来なかった。
悔しい…。
己の無力さが、シャニの涙を止めることの出来ない自分が――。
「シャニ…」
無意識のうちにしていた目尻へのくちづけは、涙の味がして少ししょっぱかった。
唇で、柔らかく頬に触れて、最後に唇同士を重ねる。
2人の脳裏に、幼いころ聞いた ‘王子様のキスで呪いが解ける’ おとぎ話が浮かんで、消えた。
しばらくして2人は閉じていた双眸を開いた。
互いの視線がかち合った瞬間 (とき) …。
「しゃ、に!」
オルガは驚いたように、シャニの名前を呼んだ。
* * *
明くる日。
「…戻っていますね…」
「戻ったみたいだね」
ぽかーんとした表情で、似たような台詞を発したアズラエルとクロトを、オルガは振り返る。
2人を一瞥すると、直に視線を前に戻し、嬉しそうにフォビドゥンのコックピットに駆けていったシャニの後姿を見つめた。
「ああ、そうみてぇだな」
「オルガ!どうやって戻したんですか!っていうかいつの間に戻ってんですか!」
何処か他人事のような返答を返すオルガに、アズラエルは困惑気味の表情で、捲くし立てた。
「アズラエルさん、落ち着いてよ」
慌てて、クロトが止めに入る。
「落ち着いてなんかいられませんよ!昨日の今日でいきなり猫になって、今度はいきなり戻ってんですよ。クロトは不思議じゃないんですか?!」
「あー…いや、そりゃー…不思議だけどさ。戻ったんなら良いんじゃない?」
シャニも元気みたいだし、と笑うクロトに、アズラエルは ‘う゛…’ と言葉に詰まった。
「ハハッ!そうだぜ、オッサン。過去のこと蒸し返すのは大人の悪い癖だぜ」
クロトのフォローに内心感謝しつつも、それを表には出さずに、オルガはシャニの許へと駆けていった。
どうやって戻ったのか…?
そんなことオルガとシャニにもわからない。
ただ幼い頃に聞いたおとぎ話と、とっても展開が似ていただけ…。
シャニの呪いを解く王子様は、見知らぬ土地の貴族では無くて、身近にいる金髪碧眼の恋人だったというだけのお話。
END
ねこパニちょっと違った展開のお話。
呪いを解く方法をキスに変更したかったのです!(笑)
2005.10.19
戻