魔よけの


 それは本人にまったく自覚がないから余計に手に負えない


 もぐもぐとシャニの口が動いているのを見て、オルガは軽く首を傾げた。

 「…なあ、シャニ。なんか食ってんのか?」
 「んー…飴もらったー」

 れっと舌を出してきたシャニ。その舌の上には大きめの黄色い飴玉が転がっている。

 「レモンの味だよぉ」
 「……」

 くすくすと楽しそうに笑うシャニとは対照的にオルガは眉を顰める。暫し沈黙が流れた。

 「誰に貰ったんだ?」

 オルガが発した言葉には微妙に怒気が含まれていた。シャニは気付かなかったが。

 「知らないやつ。なんかぴしっとした暑苦しそうな軍服着たおっさんだったかな〜。あ、ムルタじゃないよぉ」

 シャニの答えに、オルガは‘またかよ’と頭を抱えた。気のせいではない頭痛を感じた。

 「シャニ!忘れたとは言わせねぇぞ。知らないやつからモノ貰うなって前も言っただろう!」
 「えー…でも、おいしいよ〜」
 「そういう問題じゃねぇ!」

 「んんっ??オルガも飴欲しいの?もう一個もらってきてあげようか?」
 「だー!違ぇッ!」

 「うぅっ…なんだよ!オルガの怒りんぼぉ〜〜」

 激しく着眼点が食い違っていることに気付かぬままオルガとシャニの不毛とも思える会話が暫し続いた。
 それを打ち切ったのは、シャニがびーと泣きながらその場を走り去ったからだった。

 「お菓子もらって何がいけないんだよ〜」

 迫力も何もない捨て台詞を残し、シャニはオルガの部屋を飛び出して行った。

 「シャニ!」

 残されたオルガは、はあ、と小さくため息をつき、シャニの後を追う羽目になるのだった。

 あれはいつも無意識、無感情、無感覚。本人にまったく自覚がないから手に負えない。

 シャニは一部のお偉いさんの頭痛の種であり、また一部のお偉いさんのお気に入りでもあった。
 (猫可愛がりの筆頭はアズラエルだと思われる)
 中性的な顔立ちと、荒んでいない性格が魅力的なのだろう。

 (チッ ―― 餌付けされてんじゃねぇよ。いや、するほうもするほうだな。見つけたら変な気ィ起こす前にボコボコにしてやる!)

 心の中で物騒な考えを廻らせながらオルガはシャニに追いついた。

 「あっ」
 「捕まえた。…ったく、逃げんなよ」

 細い腕を掴み、ずるずると半ば引き摺るように部屋に連行する。

 「あ、痛…ッ」

 話をする前に、逃げられたら堪ったものじゃない、と思い、きつめに腕を掴んでいたらシャニが小さく苦痛を訴えてきた。
 慌てて手に入れていた力を緩める。

 「おわっ、悪い。大丈夫か…?」

 白い腕には薄っすらと指の痕が残ってしまい、オルガはさあ、と青褪めた。
 シャニ自身は大して気にしていないのか、赤くなった部分にふうふうと息を吹きかけて、ぷらぷらと軽く腕を振る。
 心配で顔を覗きこむと、大丈夫だよ、と可愛らしく微笑むもんだから余計に良心がズキズキと痛んだ。

 「手当てするか?」

 真剣な表情で問えば、

 「そんなに痛くないよ。オルガの心配性〜…あ、そんなに心配なら舐めてよ?」

 とんでもない返答が返って来る始末。

 「唾つけとけば傷が治るってよく言うじゃーん」

 果たしてそれが打ち身に効くのかよ、と、
 オルガは心の中で特大の疑問符を飛ばした ―― だが、痛い思いをさせた罪悪感も手伝って、
 シャニの言うとおり傷口に舌を這わせることにした。

 「アハハ なんかえっちなのー」

 素直にそれを実行してくれたオルガの誠意が嬉しかったのと、くすぐったさにシャニは目を細めて微笑った。
 えっちなの、と言う言葉を聞いて、悪戯心にほんの少しだけ火が点く。

 「ひゃ、ん…」

 赤くなっている箇所から唇を少しずらして、ちゅう、と肌を吸い上げる。
 音をたててオルガが唇を離すと、シャニの腕には痣とは違う痕がくっきりと残っていた。

 「ほら、完了」

 ぽん、と頭を軽く撫でて、柔らかく微笑みかければ、シャニも嬉しそうな笑みを返してくれた。
 先程のプチ喧嘩の時の膨れっ面は、何処へやら、と言った感じである。

 「ふふ…これ好きー」

 今度は手を繋いで自室に向かっていると、キスマークを指差して、シャニが微笑った。

 「へぇ、そりゃあ光栄」
 「オルガのものって感じ」

 すりすりと印に頬を擦り寄せるシャニを見て、オルガの口許も自然と緩む。

 「確認しなくてもおまえは俺のもんだろ」
 「うん、そうだねー。だからあんま怒っちゃ嫌だよ?」

 ひょこっと顔を覗きながらそう言ってきたシャニに、オルガは数回瞳を瞬いた。

 「気付いてたのか?」

 ぴたっと足を止めて、真剣に問う。
 ふわふわの若草色の頭が小さく頷いた。

 ‘じゃあ…何で!’とムキなって反発しそうになったオルガを制してシャニが先に口を開いた。

 「あ、でもホントに目付きやばいおっさんには貰わないよぉ。ちゃんと気をつけてるから大丈夫〜」

 シャニの‘大丈夫’はかなり当てにならないとこれまでの付き合いで悟っているオルガは盛大に肩を落とした。

 「心配するなって、そンなの無理に決まってんだろう」

 困ったように苦笑してオルガがぺしっと軽く額を小突くと、
 シャニは一瞬だけ不満そうに頬を膨らませたが、心配して貰えるのは嬉しいので文句は心の中で留めておいた。
 先程の様に‘もめるのが面倒’と言う気持ちもあったのかもしれない。

 「じゃあどーするの?」

 オレはお菓子ほしいの、と駄々っ子のように言ってくるシャニに言っても無駄か、と早々に悟ったオルガは解決策を考えるべく思考を回転させた。
 シャニはお菓子を貰うのを止めない。
 つまり勘違いをしてつけ上がる連中が減らないと言うことだ。
 オルガとシャニが付き合っている、と言う事実は一部の人間しか知らない。

(たまにしか来ねぇお偉いさん連中が見て一発で俺のもんだと判るような……ものぉ?)

 色々と考え 「あるわけねぇよ、そンな都合のいいもん!」 とうっかり自己完結しそうになったが、
 不思議そうな表情を浮かべて自分の顔を見つめているシャニに、オルガはあるものの存在を思い出した。
 ばっとシャニの腕を掴むと、満足気に笑む。

 「お、オルガ?」

 シャニが疑問符を飛ばしながら首を傾げる。

 「良い事、思いついたぜ」

 我ながら良い案だ、と思いながらオルガはシャニを自室に連れ込んだ。
 やっぱりワケが解らないという顔をしているシャニの上着を掴むと、首筋に顔を埋める。

 「ぅ…?」

 ちゅう ―― 先程、腕に口吻た時と同じように小さな音が響いた。
 次いで鎖骨の間を少しきつめに吸い上げる。

 「んん…ッ」

 びくっと肩を揺らし、感じ入った吐息を洩らすシャニを見て、気付かれないように微笑した。
 しっかりと朱色の痕が残った事を確認して、唇を離す。
 ぽわわん、と恍惚の表情を浮かべているシャニを、オルガはぎゅっと抱きしめた。

 「完了」
 「…??」
 「これで少しは悪い虫が寄って来なくなるだろ?」

 印を付けた箇所をちょんちょんと指先で突付けば、シャニも漸くオルガの行動の真意を理解した。
 だがシャニは物足りない、と口を開いた。

 「これだけで良いのぉ?」

 暗に足りないよ、と言う意味合いを含めて言われて、黙っているワケにはいかない。

 「もっとつけて欲しいってか?」
 「そう、もっと」

 甘い甘い誘惑をくちづけによって吸い取ってやる。

 「ああ、良いぜ。付けてやるよ」

 可愛いシャニからの申し出を断るオルガでは当然ない。
 後悔するなよ、と悪役の台詞を告げ、愉しそうに愛しい恋人の身体を抱き寄せた。


―― 魔よけの印を君に刻もう ――



END


2004.08.21