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優しさのカタチ
整った容貌。しかしお世辞にも血行が良いとは言えない顔色。彼が纏う雰囲気には似つかわしいかもしれないが、どうにも気に食わない。 遊庵は、ひしぎをマジマジと見つめた後、言った。 「ひでー顔色」 同僚とは言え、己より大分年下である漢から無遠慮に掛けられた言葉。 ひしぎは普段通りのポーカーフェイスはそのままに、遊庵と向き合った。 「ほっといて下さい」 「あ?だってよ、ホントのことだぜ」 淡々と返せば、相手の予想範囲内の反応だったのか、遊庵からも即座に返答が返された。 「居城にこもって、研究ばっかしてっからだぜ」 手にしている赤い果物を口に運びながら、遊庵は言う。 本当のことを言っているので、悪びれた様子も無い。 もちろんひしぎもそれには反論しなかった。 ただ代わりに、自分の顔色が悪かろうが、良かろうが、遊庵には関係のないことだ、とは思った。 それこそ倒れでもして、仕事に支障をきたすようなら話は別だが…。 ひしぎは、静かに息をつき、再び机に向かった。 「なんかお前って生きようとする気力っつーもんが乏しいよな」 遊庵の口からしゃりしゃりと果肉を食み、噛む音が響く。 「…そうですか?」 片や、ひしぎの手元からは、とんとんと書類を纏めている音が響く。 「そうよって…おいおい、無自覚かよ」 振り向きもせず、己の仕事を片付けていくひしぎに、遊庵は頭をガシガシと掻いた。 無駄な肉のない体付き。格別線が細い漢ではない。けれど生気を感じられない背中。 後ろ姿は‘儚げ’と言うと少し言い過ぎかもしれないが、どこか危うい雰囲気が漂っていた。 それこそ放って置いたら生きることを放棄してしまいそうに見える――…。 少し思案して、遊庵は手に持っているものに視線を落とした。ニッと口角を吊り上げる。悪戯を思いついた子供の笑みだった。 遊庵が手にしていたものを投げる。ひしぎの後ろの空気がひゅっと動いた。 ひしぎは振り向かずに、それを受け取った。 寄越されたものを見て、切れ長な双眸が数回瞬いた。 ひしぎは、ようやくもう一度遊庵を見た。 「…なんです?」 「やる」 ひしぎが貰ったものは、遊庵が食べていた林檎だ。 半分以上残っているとはいえ、あなたの食べ掛けなんて要りませんよ、と言いたげに、ひしぎの目が眇められた。 「食えよ」 しかし遊庵は、構わず言葉を続けた。 「いえ、ですから…」 「つべこべ言わずに食えって」 要らない、と言葉を続けようとしたひしぎの言葉を遮り、遊庵は頑なに‘食え’の一点張りだ。 流石にひしぎも不思議に思い出した。 「…遊庵?」 ひしぎが訝しげに問い掛けると、遊庵はずいと顔を近付けて来た。 突然のことに驚いたのか、漆黒の瞳が僅かに見開く。 「食べるってことは生きるってことだ。美味いもん食って、お日様の匂いがする布団で寝て、そんでしっかり仕事する。それが生きるってことだぜ」 一言、一言をまるでひしぎに刻み付けるように、遊庵は言った。 ひしぎは黙って、それを聞いていた。 いや、正確にいうと、ひしぎは遊庵に返す言葉を見つけることが出来なかったのだ。 ぱちぱちと瞬く瞳。 普段の冷めきった表情とは全然違うそれに、遊庵の口許が緩んだ。 こいつ結構おもしれーな、と、本人にはとても聞かせられない感想を抱く。 「あーそろそろ帰るわ、オレ」 そして遊庵は、言いたいことを一方的に言い終え、踵を返した。 「…お気をつけて」 見送りは要らないぜ、と言い、ひらひらと手を振る。遊庵の背中が扉越しに消えた。 ひしぎは、返却し損ねた林檎に視線を落として、ふと、思い出した。 確か、少し前、吹雪にも似たようなことを言われた気がする。吹雪が促したことは‘睡眠’だったが。 遊庵が促したことは‘食べる’こと。ものを‘食す’のは即ち‘生きる’ということだから――…。 まったく太四老は揃いも揃って――…。 「お節介な人たちですね…」 でも、冷えた心にはあたたかいものが満ちた。 ひしぎは、小さく呟くと、無意識に微かな笑みを湛え、赤い林檎をしゃくりと齧った。 END
ゆんひし。ひしぎはパッと見‘生きる’という気力が乏しそう。 |