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願うこと
ひだまりの中――。 目許に朱色のはちまきをつけたパンダのぬいぐるみを抱きしめて、仔猫のように丸まって眠っている子供の姿が在った。 菜の花の香りをのせて温かな風が吹く度に、美しい金糸がさらさらと揺れる。 「ったく――こんなところに居やがったか」 遊庵は愛弟子の姿を見つけて、安心したように息をはいた。 よっぽど疲れているのか、無防備に昏々と眠り続ける螢惑。 となりに腰を下ろし、ねこっ毛の髪を指先で弄ぶ。 視線を落すと、あどけない寝顔に似つかわしくない血痕が着物にべったりと付着していた。 野党にでも襲われたか――。 もしくは彼の命を脅かす者が襲って来たか――。 まったく目覚める気配のない螢惑を見ると、かなり体力を消耗していると見える。 きっと相当な力を持った者が来たのだろう。 つまりやって来たのは、後者の "幼子の命を脅かす者" 。 「……」 何故己の子供を殺そうとする? 望んで出来た子ではないとでも言いたいのだろうか――。 喧しすぎるが、あたたかい家族に囲まれている遊庵には、螢惑の境遇が不憫でならなかった。 勿論 "不憫" なんて言葉は決して口に出さなかったし、言う気も無かった。 螢惑の辛さ、苦しみ、憎しみ、哀しみ、それらの感情は彼にしかわからない。 一番近くで見ていても、彼を取り巻く状況を知っていても、彼の痛みを想像しても、本物 (ケイコク) の感情にはなりえなかった。 「ったく――」 拾ったものの何も出来ないな、と、己の無力さを痛感する。 頭をがしがしと掻いて、すよすよと気持ち良さそうな寝息をたてる螢惑の頭を軽く叩いた。 「起きろ、螢惑。こんなところで寝こけてっと襲われるぞ?」 「あ、ゆんゆんだ…」 ぱちぱちと琥珀色の瞳が数回瞬く。 まだ眠たそうな寝惚け眼が遊庵を見つめる。 「お前なァ…パンダみてぇな、呼び方は止せっつってんだろ」 「えー…だって "ゆんゆん" は "ゆんゆん" だし」 ぽけ〜っとしたまま訳のわからない理屈をこねる螢惑。 愛弟子の脳の覚醒を促す為と、名前の呼び方が少々気に入らなくて、遊庵はもう一度螢惑の頭を叩いた。 「うるせぇ。オラ、優しいお師匠様がみっちり扱いてやるよ。 道場に来な」 「うん」 良い子のお返事と共に、螢惑が立ち上がる。 からん、ころん、と高下駄の音が、後方から響くのを確認して、遊庵は道場に向った。 何もしてやれない。 なら、せめて―― 血塗れの小さな手に、生き抜く力を授けよう。 螢惑が、復讐や憎しみの為では無く 守りたいものや帰りたい場所を見つけて、心から "死にたくない" と 思えるようになる日が来ることをせつに願いながら――。 |