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真実
ほたるは鏡の前に座っていた。 ちょこんと。珍しく正座で。 彼の漢にしては細い指が、露わになっている首筋から鎖骨へと辿る。 鏡にはっきりと映し出されている白磁の肌の上に咲いた紅い華。それをじぃと見つめて、ほたるは立ち上がった。 (……今の時間帯なら部屋にいるよね) 廊下にカラコロと高下駄の音が響いた。 ほたるが鏡と睨めっこをしているとき、辰伶は自室にて持ち帰った仕事をこなしていた。一区切り付いて凝った肩を回す。茶でも淹れるか、と立ち上がると、外からカラコロと聞き慣れた足音が聞こえて来た。近付く馴染みの気配。ノックもなしにすっと妻戸が開かれた。 「どうした。螢惑」 お茶の葉を入れている容器を片手に、来訪者の用件を伺う。ほたるは遠慮も無しにずんずんと部屋の中へと足を踏み入れ、えい、と言う気の抜けた掛け声を発して、恋人兼、異母兄である辰伶に抱きついた。 「……螢惑?」 突然抱きつかれて、辰伶の頭上には疑問符が数個飛んだ。 ほたるは何も言わない。唯、何を思ったのか、辰伶の着物の襟を引っ張り、露わになった首筋に唇を寄せた。そしてやはり何も言わず首筋に歯を立てて来た。 「…なッ!」 辰伶は驚きに、琥珀色の双眸を見開いた。 思いきり噛み付かれたワケではないので大した痛みは無い。 甘く噛み付かれて、そろりと舌が這う。眉根が寄せられ、ピクリと僅かに返ってくる反応。ほたるは辰伶には見えない位置で口許に弧を描いた。 「け、螢惑!一体何のつもりだ!」 唇が離れると、ほたるの目の前には頬を紅潮させ、文句を言ってくる辰伶がいた。半ば怒鳴りつけられているほたるは涼しい表情のままだ。 「あれ……?」 しかしほたるの涼しげな表情は、辰伶の首筋をじぃと見つめた後、不満そうな表情に変化した。 「なんで辰伶には付かないの?」 うーと唇を尖らせ、子供のように頬を膨らませるほたるを見て、辰伶は ‘何のことだ’ と首を傾げた。 そしてふと、ほたるが己の首筋をしきりに撫でていることに気付いて、そういうことか、と察した。 「貴様が下手なんだろう」 「……」 さらりと告げられた言葉に、ほたるは口を噤む。眉間には数本の縦皺が刻まれた。 辰伶は愉しげに口許に弧を描くと、ほたるの腰を抱き寄せ、首筋に顔を埋めた。 「…ちょ、辰伶」 「じっとしていろ」 身動ぎするほたるを制し、柔らかい肌を指先で撫でる。金色の長い睫毛が僅かに震えた。辰伶は、流れるような動作で、ほたるの首筋に唇を押し当てた。 「……んっ」 同時に腰に回していた手でほたるの弱い箇所を辿る。ほたるに気付かれないようやんわりと緩い愛撫を与えた。 整った唇から紅い舌が覗く。唇を離す瞬間、辰伶はほたるの肌を強めに吸い上げた。 「ふ、あっ…」 白磁の肌に紅い華がひとつ増えた。 「ついたぞ」 吐息と共に耳に吹き込まれる辰伶の低い声に、ほたるの脚から力が抜ける。カクンとその場に崩れ落ちる体。 「〜〜ッ!ずるい」 悔しくて、でも異母兄が残した紅い痕を、本当はちょっぴり嬉しいと思ってしまう。複雑な気分だ。 先程の愛撫で紅潮した頬と、潤んだ双眸が、辰伶を見上げ、睨み付けた。迫力は無い。 「ずるい。オレもつけたかったのに」 辰伶の着物を引っ張り、立ち上がると ‘何でつかないんだろ’ と、ほたるは首を傾げた。 「練習でもしてみるか」 「……するっ」 からかい混じりに言われて、やっぱり悔しい。でもこのまま引き下がるワケにはいかない、とほたるは、辰伶の提案に食い付いた。 ムキになる愛らしい様が辰伶の気分を良くさせる。込み上げてくる微笑を噛み殺し ‘おいで’ と手を伸ばす。 ほたるは促されるままに、異母兄の膝に乗り上げ、首に両腕を回した。 「オレもいっぱいつける!」 「…ああ、好きにしろ」 この時、辰伶は笑いを堪えるのが本当に大変だったという。 そうして翌日。辰伶の着物の下の隠された肌には、大量の紅い華が咲いていた。 勿論それは、ほたる以外誰も知ることのない真実。 |