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思い出

 それは遠い記憶。
 古く、懐かしく、大切なもの。

 温かな陽光に透けて、辰伶の目の前で柔らかそうな金糸がふわり、と揺れた。
 数年前までは、腰に届きそうな位長かった金糸。
 今では肩にも届かない。

「お前は勿体無いことをするな」

 辰伶は手袋を外して、そっと右手を伸ばすと、その金糸に触れた。
 金糸の持ち主であるほたるは、首だけを動かしてちらりと辰伶を一瞥する。
 そして直に ”いいじゃん、髪洗うのが楽になった” と、一理あるようで見も蓋もない返答を返してきた。
 辰伶はため息と言うのに相応しい息をついた。
 ほたるがつ、と後ろを振り向いてみると、柔らかな風に揺れている白銀髪。
 そっちのほうが余程綺麗だと思っているほたるとしては、自分の髪が燃えた位で其処まで落胆する辰伶の気持ちがわからない。

「焚き木で焼けちゃったんだからしょーがないもん。
 それにオレ、自分で髪結えないし」

 目に掛かっている為少々鬱陶しい前髪を指先で弄びながら、ちょっぴり拗ねたような口調でほたるは呟いた。
 四聖天にいた頃は、アキラが ”うっとうしいだろ?” と、結ってくれた。
 ほたる的には、狂の髪のほうがよっぽど暑苦しい…と、何度も思ったのだが、ブラコンのアキラにそれを言うと面倒なことになるのは確実である。
 だから敢えて口には出さなかった。

(あれ?その前は誰に結って貰ってたっけ?)

 ほたるは次に、ぼんやりと幼少時のことを思い出そうとした――…が、同時に辛いことも思い出してしまいそうになり、頭を緩く振ると、考えることを放棄した。
 幼かったとは言え大切な人を護れなかった無力な自分。
 鮮血に染まった着物。
 思い出すのがとても嫌だった。

(かあさま――…)

 ほたるがとても大切であり、辛くもある思い出に蓋をしようとしている間
 辰伶は目の前の金糸を梳くように撫でていた。
 その感触が気持ちいいとほたるは思った。
 他人に触られることは好きではない。
 むしろ嫌いな部類に入る行為だ。
 でも、この時は、頬をくすぐるように揺れる髪が、子供をあやす様に動く辰伶の手が、何処か懐かしく、心地好かった。

「髪くらい俺が結ってやる」

 あまりの気持ち良さに、だんだん瞼が重くなってきて、うとうとしていると、黙ったまま髪を梳いていた辰伶が、ふいに口を開いた。
 告げられた科白に、驚き、目が覚めてしまう。

「ふーん、面倒じゃない?」

 辰伶は自分の髪だって結構な長さだ。
 他人の髪まで結わうのは面倒だろう、と、ほたるは思った。

「そんなことはない」
「オレ、朝起きないし。くせっ毛だからすぐ絡まるし。梳かすのも一苦労だよ」

 辰伶の言葉を鵜呑みにして、途中で “矢張りお前の髪なんか結えるか!” と、言われても困るので、面倒な要素を幾つか挙げてみる。

「ふん、起きなければ叩き起こすまでだ」

 それでも異母兄は退かなかった。
 辰伶の場合。「叩き起こす」=「水を掛ける」という意を知っていたほたるは、不満に頬を膨らませる。

「美しい髪なんだ。また伸ばせ」

 いつまで経っても子供よりも子供らしい弟の仕草に自然と口許が緩む。
 ほたるに対して、なかなか本音を出せない辰伶だが、この時ばかりは素直な気持ちがするりと出てきた。

「命令しないで。んー…まぁ、気が向いたらね」

 伸ばせ、という命令口調は不満だったが、辰伶の言葉はほんの少しほたるの心を揺らした。

(そういえばかあさまも長い髪が好きだったな)

 蓋をし掛けた思い出がほんのりと心の中に蘇る。
 逝ってしまった母を想いながらほたるは快晴を仰いだ。

 兄の行動に蘇ったのは遠い記憶。
 古くも懐かしい。大切な母さまの記憶。



END


捏造。ほたるのお母さんが優しい人だったら良いな、と思います。
2005.02.16