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2人
首筋に刻まれている印は、彼の者が壬生の戦士であるという証。そして誇り。 だが、今は、その印が、心に暗い影を落とす。 地下迷宮を脱し、暗く何処までも続く通路を見据えて、白銀の髪を持つ青年は小さく息を吐いた。 何も気付こうとせず、何も見ようとせず、誰の言葉にも耳を貸さなかった自分。 無意識の内に、指先が、右側の首筋に触れた。 込み上げてくるのは自責の念。 そして長年信じ続けていたものが脆くも崩れ去ったことに心が悲鳴を上げているようだった。 力一杯握り締めた拳と、行き場のない憤りを、近くにあった柱に叩き付ける。 しかし憤りはそれだけでは治まらなかった。 「くそッ」 ――ガツン。 今度は額を強く打ち付ける。 それを繰り返していると錆び付いた鉄のような匂いが鼻についた。 「ねぇ、辰伶。それって新しい遊びかなんか?」 「……阿呆。そんな訳無かろう」 その場から動く気にはなれなくて、しばらく立ち尽くしていると、己より先に進んでいた螢惑が、鈍い音を不思議に思ったのか、此方に戻って来た。 質問の内容に呆れて、はぁ、とため息を吐きながら返すと、螢惑は突然眉を顰めた。 鋭い視線が床に移動し、螢惑は不機嫌そうに、オレの額から滴り落ちる血を見つめていた。 「バカなことしないでよね」 華奢な腕がすっと伸びてきたかと思うと、着物の袖で、額を拭われる。 汚れるだろ、と驚いて、身を引こうとしたが、存外強い力で胸倉を引き寄せられ、螢惑の為すがままになってしまった。 「はい、おしまい」 程なくして出血が止まると、螢惑は胸倉を掴んでいた手を離した。 琥珀色の双眸がオレの姿を映す。 「傷なんかつかない」 そして発せられた言葉。 その言葉は、当然目の前に居るオレに向けられているものだが、その真意を掴むことが出来ない。 「傷?」 疑問符を飛ばして聞き返す。 螢惑はオレの首筋に手を添えて言葉を続けた。 「自分で選んだ道を、誇りを持って歩ける人間は、傷なんかつかない」 「螢惑……」 「オレはそう思うけど」 言われた言葉が心に浸透する。 前まではあんなにこいつの言葉に苛立つことが多かったというのに…。 不思議な気分だった。 「そうか…」 オレが目を伏せ、答えると、螢惑は首筋に添えていた手を離した。 「螢惑」 そして先に進もうとする螢惑を見て、ふと思いついた。 華奢な腕を掴んで、引き止める。 「ん?」 螢惑が、きょとん、と首を傾げる仕草を、迂闊にも愛いらしいと感じてしまって、無意識の内に優しい声で問い掛けることになった。 「筆を持っているか?」 「あー…五曜門の前で貸してもらったやつがあるけど」 螢惑はオレの質問に頷くと、袖をごそごそと探って、一本の筆を取り出した。 「貸せ」 「何で?」 「いいから」 「………。やだ」 「…?何故だ?」 「だって “それ” 消すんでしょ?」 一々突っ掛かってくるな、と思っていると 、螢惑はオレの首筋に刻まれた “水” という文字を指差してきた。 察しがいいな、と頷くオレを見て、螢惑は “えーやっぱりやだ” と応えた。 「だから何が嫌なのだ!」 駄々をこねる螢惑の考えが理解出来ずにまた苛々してきた。 思わず声を張り上げると、目の前の弟は幼い子供がするように、ぷっくり、と頬を膨らませ、口を開いた。 「辰伶。それを消してまた苦しむの?また自分を責めるの?辰伶ってマゾなの?」 その口から発せられたとんでもない言葉に絶句する。 ガックリと肩が落ちた。 「ききき、キサマ!誰がマゾだ!別に苦しまんし、自分を責めたりもしない!前に進む為だ!」 「前に?」 ムキになって言い返すと、螢惑は驚いたように瞳を数回瞬いて、オレが最後に発した台詞をオウム返しに聞き返してきた。 「そうだ…」 「そっか。なら貸してあげる」 結局何に納得したのか、オレにはよくわからなかったが、螢惑は何処か嬉しそうに、口許に弧を描いて、ようやく筆を貸してくれた。 筆を受け取ると、衿を緩めて、首筋の印に罰点をつける。 オレの一連の動作を螢惑は黙って見ていた。 「あ、お揃い?」 そして筆を返却すると、螢惑は己の首筋にある “火” という文字を消している罰点を指差して、それはそれは嬉しそうに笑った。 その笑顔に、重い自責の念がとても軽くなったことを、お前は知らない。 ひとりでは無い。その事実に感謝した。 |