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春の雪
ねえ、吹雪、なぞなぞしましょ――?妻は白く華奢な指を自分の唇に当てて、堅物な夫に子供の遊び事を持ち掛けた。 最初にひとつ質問をします。吹雪と聞いて思い浮かぶものは――? ほんの少し驚いているような様子の吹雪に、姫時は笑みを深くする。そして弾んだ口調で言葉を続けた。 「……強風に吹かれて横なぐりに降る雪だろう」 少しの間を置いて、淡々とした返答が返って来る。それは辞書に載っている文を読み上げるように正しい答え。 「ええ、そうね。では春に吹雪くものはなんでしょう?」 姫時が続けて本題に入ると、吹雪は答えに詰まった。眉根を寄せ、押し黙る。答えを探しているようだ。 愛しい人がなぞなぞの答えを探している姿を、姫時は穏やかな微笑みを絶やすことなく見つめていた。 「春なのに吹雪くのか?」 時計の秒針が半周した。 吹雪は憮然たる面持ちで、姫時に問い掛けた。 「と言うより春だから吹雪くの」 姫時は曖昧にヒントのような返答を返す。 ムキになっている吹雪を‘可愛い’と、密かに想いながら―― チッ、チッ、チッ―― もう一度時計の秒針が半周すると、姫時は立ち上がり、縁側に移動した。 「吹雪、立って」 白い腕を差し伸べ、誘う。 「答え合わせに行きましょう」 「まだ考えている」 「残念、時間切れよ」 戯れ事にはそれを楽しむ為のルールが存在する。時間制限くらいあってもおかしくは無い。 姫時はいたずらっぽく微笑むと、病を患う自分が唯一行動を制限されていない庭園に、吹雪を連れ出した。 「…姫時、走るな」 無意識に気が急いていたのだろう。気付くと小走りになっていた。吹雪に制され、肩を抱かれる。 何処まで行くんだ、と視線で問い掛けられたので、姫時は指先ですっと行き先を示した。 一言で庭園と言っても此処は広い。二人は緩やかな足取りで歩く。大分進むと、立派な桜の樹が見えた。 「吹雪、答え合わせよ」 姫時は吹雪から離れ、桜の樹の下に移動した。 彼女が振り返ると、今迄凪いでいた風が、吹き荒れる。 柔らかな陽光に似た色彩を持つ髪がさらさらと揺れた。 薄紅色の花びらが見るもの全てを魅了するように、はらはらと舞った。 なぞなぞの答えは花吹雪。 姫時は、首を傾け、面白かった?といたずらっぽく問い掛ける。 吹雪は何も言わなかったが‘面白くなかったぞ’と言いたそうな表情をしていた。 そんな夫を見た姫時は‘負けず嫌いね’と言い、はんなり微笑んだ。 「綺麗ね」 そして桜に視線を移動させ、長い髪を風に揺らしながら、感嘆の意を込め、呟く。 風は止まない。花びらはほろほろと散り、姫時の姿を隠す。 薄紅色の雪が、愛しい人を攫ってしまいそうだ―― 吹雪は瞠目した。 「…ッ。姫時」 「…?」 僅かに動揺が滲んだ声音で名を呼ばれ、姫時は不思議そうに、吹雪を見た。 来い、と差し伸べられた手に気付き、己の手を重ねる。痛い位の力で引き寄せられた。 驚きに、瞳を瞬く暇もない。 躓きそうになり、吹雪の腕に抱きとめられる。 そしてしっかりと抱きしめられ、吹雪の表情がまったく伺えなくなってしまった。 「吹雪…?」 瞳を丸くして、夫の名前を呼ぶ。普段と違う吹雪の態度に、一抹の不安。心がざわめく。 「…姫時」 「なあに?」 愛しげに、紡がれる名前。 「…姫時」 「はい」 姫時は、そのひとつひとつに丁寧に返事を返した。 ふっと抱擁の力が緩み、姫時は顔を上げた。漸く二人の視線が交わる。姫時は真摯な視線を受け止め、吹雪はもう一度口を開いた。 「此処に居ろ」 「はい、あなた」 姫時は、少し驚いたように瞳を見開くと、花のように微笑み、迷うことなく吹雪の言葉に頷いた。 それは春の雪が伝えた兆し。 いずれ二人を分かつ哀しい未来が垣間見えた瞬間だったのかもしれない。 END
甘いのか、せつないのかわからない話に…!(なんてこと) |