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嬉し涙

 きっとお前は言うだろう。

 ――何も何も欲しくない。
    欲しいものは自分の力で手に入れる。
    だから何も欲しくない。

 …と。

 でも、それではどうやってお前が生まれた日を祝えば良いのだろうな…。


「…螢惑。今日が何の日か覚えているか?」

 ひなたの匂いがする枕に半分顔を埋めて、とろんと微睡み掛けている異母弟に、辰伶は問い掛けた。
 ほたるは眠気を振り払うように、目許を擦ると、ふるふると首を横に動かす。
 その何気ない動作が思いの他愛らしくて、辰伶は口許に笑みを湛えると、ほたるの肩をぎゅっと抱き寄せた。

「今日は8月13日だぞ」

 耳元に唇を寄せて、短く、日付けを告げてやる。
 螢惑は ‘あ’ と言う様に、空 (くう) を見て、次に辰伶の顔を見つめた。

「そっか。覚えてたんだね」
「当たり前だ」

 忘れない。忘れる訳がない。
 互いに抗うことの出来ない運命に翻弄されることが決定した日。
 そして辰伶にとって、たったひとりの掛け替えのない ‘弟’ 兼 ‘恋人’ が生まれた日。
 ほたるが居ない世界なんて今ではとても考えられなかった。

「螢惑、おめでとう」

 辰伶の言葉を聞いて、ほたるは頭の中が、一瞬真っ白になった。
 真っ直ぐに、嘘偽り無く、心からめでたいと思っているだろう異母兄の心理がわからない。
 自分の存在は、辰伶と、彼の母親を苦しめる存在だったろう。もちろん此方とて苦しんだ。お互い様だが…。
 其れなのに、自分の誕生日を、心からお祝いしてくれる辰伶。何処かおかしいんじゃないか、と思ってしまう。

「……べつにめでたくなんか無いけど」

 だから 『おめでとう』 と言って貰えて嬉しかったのに、口をついて出たのは、心にも無い言葉だった。
 ほたるは物を貰うのを嫌う。
 欲しいものは自分の力で掴み取るしか無い。
 そんな境遇の中で生きるしかなかったほたるが、唯一受け取れるのは、言葉や感情といった形に残らない類のものだ。
 だから辰伶は、言葉にありったけの想いを込めて伝えたのに、こうもあっさり否定されてしまうとは…。
 流石に胸の奥がズキズキと痛んだ。
 しかしよくよく見てみるとほたるの表情は暗かった。
 心にも無いことを言ってしまって、後悔している。
 そういう表情だった。
 ほたるは、辰伶に ‘単純’ だの ‘不器用’ だの言うが、感情を表に出し、伝えることは、ほたるも同じ位下手くそだろう、と思う。
 柔らかい髪を、そっと撫ぜてやり、口を開いた。

「この日が無ければお前は此処には居ない。
 俺たちが出逢うことも、名前を呼び合うことも、喧嘩をすることも、こうして禁忌を犯して愛し合うこともなかっただろう。
 誰が何と言おうと今日は大切な一日だ。めでたいんだ」

 ほたるの心に残って欲しい、という想いを込めて、一言、一言、ゆっくり告げる。
 至近距離で琥珀色の双眸が見開き、パチパチと瞬いた。
 そして白い頬に、ぽろ、と一筋の涙が流れた。

「け、螢惑…」

 今度は辰伶が瞠目する番だった。

「……ひ、くッ…」

 直ぐに、どん、と胸元に押し付けられる顔。泣き顔なんて見られたくないようだ。
 でも、抑え切れずに洩れる嗚咽が耳に入ってくる。目の前で華奢な肩が震えている。
 愛しい、という想いが辰伶の胸に込み上げた。
 金の髪を掬い上げて、額にそっとくちづけを落とす。俯いていた顔を上に向けさせることに成功した。
 涙を指で拭って、唇を重ねる。ほたるは夢中で応えてくれた。

「螢惑、お前が生まれて来てくれて良かった」

 くちづけの合間に囁くと、ほたるの瞳から新たな涙が溢れた。
 泣き顔を見ていると辛くなる。しかし ‘嬉し涙’ は違う感情を生み出す。
 嬉し涙は見ているものを満たしてくれるんだな、と、辰伶は初めて知ることになった。



END


(少し早いですが) ほたる、はぴば!永遠の22歳 (笑)
2005.08.07